「武造とマツの物語(新)」

【小説】 身体障害者に理解がない時代にマツは、幼少のとき親同士で決め

た「ろうあ者」との結婚のため養女にいく。偏見や逆境に遭いながらも前向きに生きていく。



2011年12月19日

武造とマツのその後〜 【最終回】

その後、
二太郎は東京に行き、書店に勤め、そのあとガソリンスタンドに勤める。
それから、知人の保証人になり音信不通となる。

二太郎と連絡が取れなくなって数年経ったころ、鶴見列車事故が起きた。死者数100人以上出た大きな列車事故だった。

その鶴見事故が起きた時のニュースで、死亡者に二太郎の名前が出た。
武造、マツの家の者たちは、二太郎が死んだと言って泣いてたいへんだった。

身元確認のため、東京に向かおうと駅に行った時、警察から連絡が入った。
死んだ二太郎は、その家族が来て「うちの者だ」と言って引き取ったということだった。
同姓同名だった。しかも漢字も同じだった。

そうしているうちに、二太郎は東京の学校のボイラーマンとして働いているという情報が入った。
一太郎と善子が、東京のその学校に確認に行く。

本人と無事に出会い、二太郎から話を聞いた。
「知人の保証人となり、その知人が事業で失敗をし、保証人となった自分が借金を担うことになった。家のものに迷惑をかけてはいけないと思い連絡出来なくなった。自分は建設会社で働き始め、今働いている学校の建設をしていた時に、その学校の理事長に気に入られて、学校の用務員として働くように声がかかり、それ以後、この学校で働くようになった」ということだった。

二太郎は、1人暮らしをしていてずっと独身だった。
その二太郎にある日、突然、病魔が襲い倒れる。半身不随になりリハビリをするが1人で暮らせるほど回復はしなかった。

マツは、二太郎の世話のために東京に出向き1年半ほど世話をする。
その後、二太郎は上長井村の家に引き取られて世話を受けるが、具合が良くなく入院中に亡くなる。


ヨネはというと、そのキリっとした厳しさは村一番というほどになった。
ヨネ婆と言われ、村の子どもたちは「ヨネ婆はこわい」と言った。


関衛門はというと、次第に村人の信頼を得るようになる。
村で問題が起き、その解決のために村人が集まり話し合いがあると、関衛門は道理にかない平衡がとれた解決策を提案した。
関衛門の意見は、度々村の問題解決となった。

さらに、関衛門は筆字が上手で、村人は書類の書き方などを依頼してくるようになる。関衛門は村の行事の書類を書くようになった。

そして、関衛門は村人の敬意と信頼を得、寺の総代を依頼された。

よそ者としてかなりの長い年月を経て、とうとう関衛門は村人に受け入れられ、しかも村のまとめ役になった。


それからの関衛門の家には、村の人たちがひっきりなしに来るようになった。
気楽にお茶飲みにきたり、悩みや相談でやってくる。
入れ替わり立ち替わり、常に誰かが来ていた。
そういう状況はずっと続き、関衛門の家は村人が集まる団らんの場のようになった。


一太郎と善子の間にも、子供が4人産まれた。(男3人、女1人)皆元気な子どもだった。


そして、筆者(私)の夫が、大人になったころ、他の兄弟たちと一緒に、武造(爺さん)を連れて日本海に行った。

武造は、孫たちが海水浴して遊んでいる姿を嬉しそうに見ていた。
そして、夕方になり太陽が海に沈みかけた時・・・

武造は、慌てて海に入り孫たちを海から出るようにと手を引っ張った。
武造の顔は、パニック状態だった。

あまりにも、早く海から上がるように急かすので訳も分からないまま孫たちは海から上がった。
武造爺さんに理由を聞いた

武造は、太陽を指差した!
ナント、「太陽が沈むと海は沸騰する!!」と思ったらしい。

武造は生まれて初めて海に沈む太陽を見た。
山に囲まれて育った武造にとって、太陽が山に沈んでも山火事になるとは思わなかった。
太陽が山に沈むのは、普通の光景だったからだ。

しかし、海に沈む太陽を見たのは初めてだったので驚いたらしい!!

家の戻り、孫たちが地球儀と電球を使って説明したが、武造は理解できなかった。


【最後に・・・】

筆者(私)は、マツの晩年のときに嫁にきました。
(関衛門、ヨネ、武造は、亡くなっていました)

武造は、咽頭がんのため70歳半ばで亡くなりました。


マツは、物静かな感じで嫁としての不慣れな私に優しく声をかけてくれたことが印象に残っています。
(正直、南国育ちの私には、マツが話す方言が最初は聞き取りにくかったです(笑))

マツは緊張をほぐしてくれるような温かい雰囲気を持っていて、そばに座ってホッとするような存在でした。

そのマツが持っていた平和な特質は、関衛門の家系に引き継がれています。

そして、マツは、80歳後半に山に行き山菜採りをした後、その夜、肺に水が溜まり救急車の中で亡くなりました。
お葬式の時に、皆が言いました「マツは、ほんとにいい人だった。死ぬ前まで自分の好きな山菜採りができて良かったな」と。

「完」

※ 武造とマツの物語を最後まで読んでくださりありがとうございました。
心より感謝いたします。   筆者(じゅんこ)
posted by junko at 15:13| Comment(0) | 新・武造とマツの物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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